東京地方裁判所 昭和62年(ヨ)2347号 決定 1988年8月04日
債権者
中俣照男
外三名
右代理人弁護士
井上幸夫
同
水口洋介
同
上条貞夫
同
山本真一
同
岡田和樹
同
小部正治
同
前田茂
同
小林譲二
債務者
エヴェレット・スティームシップ・コーポレーション・エス・エイ
日本における代表者
高橋宏
右代理人弁護士
辰野守彦
同
松尾翼
同
奥野泰久
同
谷口正嘉
主文
債権者らの申請をいずれも却下する。
申請費用は、債権者らの負担とする。
理由
第一当事者の求めた裁判
一 債権者ら
1 債権者らが、債務者に対して労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。
2 債務者は債権者らに対し、昭和六二年一一月以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り、次の金員を支払え。
中俣につき 四二万五九三〇円
野村につき 四三万九七〇九円
平田につき 四三万五三六一円
小谷につき 二七万〇五四八円
3 申請費用は、債務者の負担とする。
二 債務者
主文一項と同旨。
第二本件の事実関係
記録によれば、本件の事実関係として、一応、次の事実を認めることができ、これに反する証拠は、いずれも採用しない。
一 当事者
1 債務者会社(以下「会社」という。)は、主として海運業務を行う株式会社で、本店をパナマ共和国に置き、日本においては、東京本部のほか、東京と大阪に各支店を設置している。日本における従業員数は、昭和六二年一〇月一日現在、役員六名、東京本部三六名、東京支店一二名、大阪支店一二名の合計六六名であった。
日本における会社の業務は、日本からフィリピン、インド方面の定期航路の運送業務及び日本を起点とする不定期船の運送、代理店業務である。
2 会社には、昭和五六年までは旧第一組合と旧第二組合の二つの労働組合があり、債権者らは、いずれも旧第一組合に所属していたが、両組合は同年一二月一日に組織統一してエヴェレット労働組合(以下「組合」という。)となった。債権者らは、いずれも右組合の組合員である。
二 会社の概況と合理化の推移
1 会社は、昭和五五年当時は定期船社一二社の代理店を引き受け、日本における従業員数三〇〇名を擁していた。しかし、同年末に京浜倉庫株式会社(その後ケイヒン株式会社と変更、以下「ケイヒン」という。)にその子会社を通じて買収された直後ころから海運不況に見舞われて赤字が続き、次のとおり、業務の縮小と従業員の削減を繰り返してきた。
(一) 昭和五七年は、海運不況の深刻化した年で、経常赤字三四七万ドル(一ドル二四九円―年平均、以下同じ―として八億六四〇三万円)を計上し、昭和五八年には、主要取引先からの業務打切りなどがあったことから、第一次の合理化を行い、現業各支店の廃止、副代理店への移管等のほか、余剰人員約一〇〇名を削減した。同年の赤字額は四三六万ドル(一ドル二三七円として一〇億三三三二万円)であった。
(二) 昭和五九年は、海運不況が一段と進行して倒産する業者も現われたが、会社においても、第二次合理化を実施して業務内容を大幅に縮小し、定期船代理店業務をインド、フィリピン方面とリーファー(バナナ専用航路)に限定するとともに、従業員を半数以下の七五名にまで減少させた。その結果、昭和五五年当時は一二社の代理店を引き受けていたのが、昭和五九年には株主を共通にするエヴェレット・オリエント・ライン(以下「EOL」という。)一社のみとなった。同年の赤字額は七五万ドル(一ドル二三七円として一億七七七五万)であった。
(三) 昭和六〇年は、三光汽船の倒産に象徴されるように、船舶不況が極限に達したが、これに下半期からの急激な円高が加わったため、会社は三〇六万ドル(一ドル二三八円として七億二八二八万円)の赤字を計上した。
そして、昭和六一年は、円高が定着して採算性が一層悪化し、一ドルの収入を得るのに二ドル以上の費用を要するという異常な事態となった。同年の赤字額は四八六万ドル(一ドル一六八円として八億一六四八万円)で、累積赤字額は一二七五万ドル(右同として二一億四二〇〇万円)となった。
2 このように、海運不況と急激な円高が会社経営を大きく圧迫したため、会社は、料金改定、一般経費の削減、乗用車の廃止、OA化の推進、定年退職者の後任不補充などの合理化を実施してこれに対処したが、効果がなく、昭和六二年上半期の決算では、前年を更に上回る損失を計上する事態となった。このような状態のもとで会社が経営を続けてきたのは、EOLからの補填のほかに、ケイヒンからの支援に依存することができたからであって、特に、ケイヒンからの借入金は一三三四万七〇〇〇ドル(一ドル一四七円として一九億六二〇〇万円)に達しているが、派遣役員が昭和六二年四月退任したこともあって、支援打切りの可能性も出てきている。
そこで、会社は、生き残りを賭け、人件費の削減による合理化の実施を決意するに至った。会社においては、外航船運行という業務の性質上、支出の八〇パーセントを一般管理費で占め、更にその六五パーセントを人件費と雇用関連費で占めているため、支出をカットするには、合理化の主軸を人件費の削減に置かざるを得ないからである。
三 本件の合理化案と交渉の経過
1 会社は、昭和六二年八月、営業力を維持し管理部門を縮小して必要最小限の人員で現在の事業を継続するという観点に立って、次のような合理化案(以下「本件合理化案」という。)を策定した。
(一) 日本人二二名、外国人三名を削減し、役員及び従業員の合計を六四名から三九名とする。
新体制の組織は、東京本部二五名(社長一、常務一、企画担当二、営業部九、総務部九、船舶部二、顧問一)、東京支店八名、大阪支店六名とする。
(二) 役員報酬及び職務手当を各五パーセント削減する。
(三) 借入金利を七パーセントから六パーセントに下げてもらう。
(四) 国内ステベ料(船内荷役費)を一トン当たり一ドル値下げしてもらう。
(五) 新体制は昭和六二年一〇月一日実施とする。
2 本件合理化案は、一ドル一四〇円の為替相場を想定したものであって、これが実施されれば、(一)(二)により人件費で約四〇パーセント、一般管理費で約二〇パーセントの減少が計られ、(三)により利払額が年間一四万ドル減少し、また、(四)により赤字のフィリピン航路に若干の粗利計上が可能になることが見込まれていた。
これに対して、右の合理化案が実施されることなく、現状維持の体制で営業を継続した場合には、昭和六三年の収支推計は、収入三一七万九〇〇〇ドル、人件費等の店費四七三万八〇〇〇ドルで、一五五万九〇〇〇ドルの損失となり、これに借入金の金利を加えると二五〇万九〇〇〇ドル(三億五一二六万円)の経常損失が生じ、同年末の時点では、現有資金をもって必要資金をカバーすることが不可能となる事態も予想されていた。
3 会社は、昭和六二年八月一九日、本件合理化案を、「海運業界の構造的不況に加えて急激な円高ドル安のため会社の経営が根底から揺さぶられていること、EOLとの連結決算でも、昭和五一年は四九〇万ドルの損失を生じ、累積では一一九二万ドルの欠損となっていること、昭和五二年は、役員減員等の合理化にもかかわらず期初に想定していた期間損失二〇〇万ドルを上回り、上半期を経過した時点で三〇〇万ドル程度に上がると予想されること、そのため、手持ちの資金が急激に減少して新たな借入金の導入も不可能な状態となり、経営が破綻して早晩容易ならざる事態に立ち至ることが必定であること」などを記載した説明書とともに組合に提示し、併せて、希望退職者に対する退職金の割増金を提示した。
4 会社と組合は、本件合理化案を巡って、昭和六二年九月一日から同年一〇月二〇日まで合計一〇回の団体交渉を行った。会社は、団体交渉において、昭和六二年の中間決算報告書、貸借対照表を提示してその窮状を説明し、二度にわたり希望退職者に対する退職金の割増金を上積みするとともに(一度は四五才以上の者のみ)、社宅入居中の希望退職者に対する同年一一月三〇日までの入居承認や転居費用・帰郷交通費の会社負担などの条件を提示し、合理化案の実施に協力を求めた。
5 組合は、当初は、経営責任や会社再建の展望を問題とし、また、役員及び従業員の合計を三九名とするいわゆる三九名体制は業務遂行上無理であるなどとして反対したが、会社の事情説明や割増金の上積み、退職者の再就職斡旋などの条件提示を受け次第に態度を変化させるに至った。そして、臨時の組合大会を開催して検討した結果、昭和六二年一〇月一五日、中央執行委員会の見解を受ける形で「会社が希望退職者を募集することに同意する。仮に募集人員に満たなかった場合は、その後、労使で協議を行う。」ことを決議し、会社の提示した条件で希望退職者の募集を行うことを承認した。
6 会社は、団体交渉において、新体制組織のもとにおける東京本部、東京・大阪各支店の要員計画を提示し、会社再建のためには人員削減が不可避であって、希望退職者が目標人員に満たない場合には希望退職と同一条件で整理解雇を行わざるを得ないことを説明したが、これを認めない立場をとる組合の要望をいれて、希望退職者の募集期間中は指名解雇や肩叩きは行わないことを約束した。
7 会社と組合は、昭和六二年一〇月二〇日の団体交渉において、希望退職の具体的条件について詰めを行い、右の条件で希望退職者の募集を行うことで双方合意し、同年一〇月二一日に締切日を同年一〇月二八日とする希望退職者の募集が開始された。
8 会社は、合理化案の策定過程で、新体制組織のもとにおける要員計画を検討し、具体的な残留予定者の想定もしていたが、全従業員に対して公平に機会を与えるという観点から、各人に対する残留要請や残留意思の確認等は一切行わず、希望退職者の募集に際しても、全従業員に対して合理化案説明書並びに退職条件及び各人別退職金計算書を配布し、全て本人の自由意思に委ねる方法をとった。
四 希望退職者の募集と本件解雇の通知
1 希望退職者の募集締切りは昭和六二年一〇月二八日であったが、それまでに募集に応じたのは、非組合員八名、組合員三名の合計一一名に止まり、予定人員には至らなかった。そのため、会社は、整理解雇に踏み切ることも止むを得ないと判断し、それまでの検討をも踏まえ、「1、年齢四五才以上、2、再建計画による業務整理により冗員となる者」という基準を立て、本部及び支店を通じて各部門ごとに選別を行い、このようにして決定された一〇名の従業員を呼び出して退職を勧告したが、直ちには勧告に応ずる者がなかった。そこで、会社は、昭和六二年一〇月二九日付けで、債権者らを含む一〇名の従業員に対し、同年一〇月三一日をもって希望退職者と同一条件で解雇する旨を通知(以下「本件解雇」という。)した。
2 本件解雇は、会社の就業規則三四条二項七号の「経営不振、業務の整理縮小、その他やむを得ない事由により冗員となり他に適当な配置箇所がないとき」を理由としてされたものであるが、一〇名のうち六名の従業員が、数日以内に希望退職への切替えを申し出たことから、会社は、これを希望退職期間内の希望退職者と同じ扱いに変更した。その結果、債権者ら四名が整理解雇の対象となった。
3 債権者らを解雇者として選定した理由及び四五才以上の者で残留している者の残留理由は、次のとおりである。
(一) 解雇者選定の理由
○甲(五〇才)
営業部、業務課長代理、主事。
コンテナの管理(一部パソコン使用)を行っているが、扱いコンテナの絶対数が少数で、業務改善により専従者を廃止して他の業務に吸収処理することにしたことから、冗員となった者である。同人は、専門知識が十分でなく、パソコン利用も未熟であって、他に転配するポストがない。
○乙(五三才)
船舶部、船舶課長、主事。
船用品・潤滑油の調達、管理及び船員の管理を行っているが、円高もあって、船用品等の調達の相当部分を外地で行い、また、船員の管理を人材派遣会社に依頼することにしたことから、業務の絶対量が減少し、これを他の業務に吸収処理することとしたため、冗員となった者である。同人は、業務内容の専門知識に欠け、他に配転するポストがない。
○丙(五一才)
船舶部、船舶課長代理、主事。
船用品資材の発注、備品の発注及び下払処理、船舶部の業務関係を担当していたが、事務量が半人分以下であって他に吸収することにしたことから冗員となった者である。同人は、業務内容の知識が十分でなく、他に配転するポストがない。
○丁(四七才)
大阪支店、営業課。
スケジュール作成、運賃計算等の営業の補助業務、郵便物発信、B/L発行の補助等を行っていたが、大阪支店の業務が縮小されて人員が一二名から半減し、経理、B/L発行、庶務その他の事務処理も女性一名のみで処理することが可能となったことから冗員となった者で(他の一名は希望退職)、他に配転するポストがない。
(二) 四五才以上の残留者と残留の理由
○ア(五三才)
東京支店長、参事。
定期船営業の総括、総務経理の総括を行っており、荷主にも信頼があって、会社の定期船集賃の要というべき人材である。
○イ(五三才)
東京支店次長兼総務課長、副参事。
支店長補佐として、輸入営業部門を担当し、かつ、総務課長を兼務して経理業務も行っており、荷主の信頼も厚く、東京支店の中核的存在である。
○ウ(五二才)
総務部総務課長、主事。
労務、人事関係では部長補佐として、また、給与、庶務、通信、登記関係では責任者として、業務に当たっており、必要欠くことのできない人材である。
○エ(五〇才)
東京支店営業課長代理、主事。
営業課長の補佐として輸出営業の第一線に立っており、荷主にも信頼が厚く、営業戦力として欠くことができない。
○オ(四九才)
営業部次長兼専用船課長、クレーム担当、参事。
営業部次長としてベンガル航路の統轄を行い、専用船課長としてバナナ冷凍船四隻の営業を行い、クレーム担当として船体保険、PI保険の契約更改及びクレーム処理を行っているが、業務処理能力に優れ、営業部長の補佐として部全体を掌握し、定期船業務の中核的な役割を果たしている。
○カ(四八才)
大阪支店営業課長、主事。
ベンガル航路の輸出入を担当し、その主要貨物であるジュート麻の専門家として、日本ジュート工業協会の代表団とともにインド、バングラディシュを訪れるなど、業界にも信頼があって、ベンガル航路輸入業務の中核である。
○キ(四七才)
総務部次長兼企画担当次長、副参事。
情報関係(コンピューター、パソコン・ソフト関係)を担当し、OA化推進の立役者であるとともに、利益計画、新規企画開発も併せ行っており、経理業務等のパソコン、オフコンのソフト開発になくてはならない人材である。
○ク(四七才)
営業部定航課長(フィリピン航路担当)、主事。
フィリピン航路の配船・運行等を担当し、その中心として同業務を統轄しており、会社がフィリピン航路を続ける限りなくてはならない人材である。
○ケ(四六才)
営業部業務課長、主事。
冷凍船の精算業務を一人で処理し(従来は二人で処理していた。)、更に定期船業務の下払等のチェックも併せ行っており、冷凍船の運行になくてはならない人材である。
○コ(五七才)
大阪支店長兼総務課長、嘱託。
昭和五〇年から大阪支店長として勤務し、昭和六〇年六月には取締役に就任して、関西地区における営業の最高責任者としての職務を遂行してきた者である。昭和六二年三月に行われた役員数の減少により解任されたが、関西地区における営業経験と荷主関係との繋がりからも絶対必要であることから引き続いて大阪支店長を委嘱しているものである(一年契約で、給料は一か月五〇万円、賞与はない。)。
○サ(六二才)
船舶部長、嘱託。
他の船舶会社における豊富な経験を買われて、会社の工務陣強化のため、昭和六〇年六月取締役船舶部長として招聘され、昭和六二年三月には、円高による合理化の一貫として解任されたが、その後、嘱託として勤務している者である。会社の船舶がいずれも老朽船であることから、同人のように経験が豊かで専門的知識のある人材は、是非とも必要である(一年契約で、給料は一か月五〇万円、賞与はない。)
4 なお、組合は依然として整理解雇には反対との態度を崩していないが、本件解雇の後である昭和六三年四月二〇日、団体交渉において再建問題を討議した結果、会社が実施している一連の再建合理化計画に基本的に賛成であること、三九名体制については、労働の量的増大及び質的不安を受けているが再建のために協力することを確認し、会社との間でその旨の書面を作成している。
第三本件解雇の効力
以上に見たところを総合すると、本件解雇は、海運業界の構造的不況に加えて急激な円高ドル安による経営危機を打破するために止むを得ずされたものであって、客観的に見て解雇の高度の必要性がある上に、解雇基準の定立及びその具体的な適用も合理的であって特に不当とすべきところはなく、また、解雇までの間に組合と多数回にわたり団体交渉を行い、従業員に対しても合理化の必要等を説明して希望退職者を募集するなど解雇の手続きにも不当なところはないから、解雇権の濫用に当たるとはいえず、したがって、本件解雇は、就業規則の定める要件を充足するものとして有効であると認めるのが相当である。
第四債権者らの主張に対する判断
1 整理解雇の必要性がなく、また、整理解雇について事前の予告・説明がないとの点について。
(一) 先ず、債権者らは、会社はケイヒンが海運業を通じて海外へ進出するために買収した企業であるから、ケイヒン・グループにとって意味がある限り会社の存続は保障されるし、会社の負債も全てケイヒンからのもので、しかも、右負債をドル建てで表示するために為替差損が大きく帳簿上に表われているにすぎないと主張する。
しかし、会社が、その主張するような目的で買収されたものとしても、ケイヒンとの関係で企業としての独立性がなく採算上も一体化していることまでを疎明すべき資料はない。それ故、いくら経営が赤字続きで負債が大きくなっても会社の存続が保障されるなどとは到底いえないし、前述のように、ケイヒンからの負債が一三三四万七〇〇〇ドルにも達していることは、逆にいえば、同グループにとっては意味がないものとして、いつ支援を打ち切られて負債の弁済を要求されるも判らないことを意味するともいえるから、会社が独自の立場で自助努力として合理化を追求する必要がないとはいえない。そして、本件では、合理化のいわば最後の切り札として整理解雇の必要があったことは、前に見たとおりである。
(二) 次に、債権者らは、団体交渉において問題となったのは希望退職者の募集と退職の条件が中心であって、そこでは整理解雇についての予告・説明はなく、この点に関する会社の主張には矛盾があり、立証の時期にも問題があるという。
会社が整理解雇の予告・説明について意識的に主張をしたのは、昭和六三年三月一五日付け準備書面(第三回)においてであるが、それが答弁書の記載と矛盾しているとか時機に遅れた防御方法であるとはいえないし、同日付け乙第一八号証のほか、乙第一号証、乙第三二号証によれば、会社は、団体交渉において、希望退職者が目標人員に満たない場合は希望退職と同一条件で整理解雇を行わざるを得ないことを説明し、予告をしていることが疎明されるから、右主張は採用できない。なお、団体交渉において希望退職者の募集期間中は指名解雇や肩叩きを行わないことが約束されたことは、前述のとおりであり、債権者らも認めるところであるが、このことは、指名解雇すなわち整理解雇が議論の対象となったことを示す証左といい得る。
2 希望退職者が募集人員に満たない場合には労使で再度協議する旨の合意があったとの点について。
債権者らは、会社は、団体交渉において、希望退職者が募集人員に満たない場合には労使で再度協議することを合意したと主張する。そして、その意味は、希望退職者募集の終了後において、更に人員整理の必要性、規模、方法及び条件について労使で協議することであるという。
(一) しかし、会社は、本件合理化案を組合に提案した時点では、日本人従業員二二名を削減して東京本部二五名、東京支店八名、大阪支店六名の三九名の体制とし、この新体制を昭和六二年一〇月一日から実施させることを予定していたが、団体交渉に時間をかけているうちに右期限を過ぎてしまい、希望退職者の募集開始が一〇月二一日、その締め切りが一〇月二八日となり、右の予定を約一か月も遷延していたのである。したがって、悪化する経営環境のもとで新体制の一日も早い実施を期待し、かつ、整理解雇もあり得るとして検討を重ねていた会社が、希望退職者が募集人員に満たない場合には、合理化の内容としていかなる方策をとるかをも含めて労使で再度協議することを合意したと見るのは、いかにも不自然である。右の合意は、合理化計画の実施に重大な変更をもたらすものであるが、会社がこのような事態を容認していたと見るべき資料はないからである。
(二) もっとも、組合の執行部が昭和六二年一〇月一五日開催の組合大会に提案した中執見解(甲第一二号証)には、過去九回の団体交渉の経過と内容に鑑みて希望退職者の募集を受け入れざるを得ないことを決断したとの表明とともに、なお書きとして、「……仮に募集人員に満たなかった場合は、その後、労使で協議を行うこととする」ことが記載されている。そして、債権者らの主張によると、右の中執見解は、執行部が一〇月八日に希望退職者の募集に応ずることは止むを得ない旨の中執見解(案)を組合大会に提案したところ、募集人員が二二名に満たない場合にどうなるのかを明らかにしない限り希望退職者の募集に応ずべきではないとの意見が大勢を占めたことから、中執見解を修正して右文言を追加したもので、しかも、一〇月一三日と一〇月一五日の二度の団体交渉において、会社に対し「募集後二二名に達しなければ、その時点で労使で協議を行う」ことを確認させたというのである。
仮に右主張のとおりだとすれば、組合大会としては、募集人員が二二名に達しない場合にいかなる事態となるのかが最大の関心事であって、執行部としても、このような組合大会の関心に応えるため、一度ならず二度までも、会社に対し再度協議することを確認させていたことになる。それならば、執行部としては、中執見解の中に右確認の事実を明記し、組合大会にもその旨を強調して報告するのが当然の筋合いであったと考えられる。債権者ら主張のように、再度協議の約束が希望退職者の募集に同意するかどうかの重要な条件であって、この条件が満たされなければ組合としては希望退職者の募集に同意することはあり得ない状態だったとすれば、なおさら会社が再度協議の約束をしていることを明確な形で記載して報告すべきであったといわなければならない。ところが、組合大会の意見を受けて修正したという中執見解においても、「なお・・・仮に募集人員に満たなかった場合は、その後、労使で協議を行うこととする」として、単なる執行部のみの方針ないし決意の表明と受け取られても致し方のない記載に止まっているのであって、組合ないし執行部の理解は別として、客観的に見る限り、会社との間で再度協議の合意があったことの証拠とするには疑問がある。
要するに、希望退職者が募集人員に満たない場合については、整理解雇もあり得るとして検討を重ねていた会社と継続協議に持ち込むことによって整理解雇の事態を回避しようとする組合との間で、明確な歩み寄りがないまま経過した可能性が強く、したがって、債権者らが主張するような意味で再度協議することが合意されたとの疎明があったとはいえない。
3 希望退職者が他にいるにもかかわらず再度の募集を実施していないとの点について。
(一) しかし、債権者らが希望退職者の募集に応募していないが退職を希望していたと主張する者のうち、斎藤健治については、一〇月二八日の募集締め切りまでは判断がつき兼ねていて、退職を決意したのはボーナスの支払われた一二月一四日になってからであるというのであるから、再度の募集があれば応募する積もりだったとはいっても、会社が整理解雇に踏み切った一〇月二九日の時点で、果たしてどの程度まで退職の希望を持っていたのかについては疑問があるし(一二月一四日に退職を申し出た際にも、結局は会社から慰留されて翻意している。)、居山美恵子については、希望退職における割増金もそれほどではないので、年末のボーナスを貰ってから辞めても通常退職金を加えれば手取金に大差がないと考えて応募はしなかったというのであるから、再度希望退職者の募集をしたとしても、最初の募集より特に金銭的に有利な条件が提示されない限り応募することは期待し得なかったことがうかがわれる(一一月三〇日と一二月一四日の二回にわたり退職願いを会社に提出したが、慰留されて撤回し、結局、翌年三月末に退職している。)したがって、債権者らの主張は、その前提自体に問題があるというほかはない。
(二) もっとも、希望退職者の募集を締め切った直後の時点では、会社においても、従業員の中には退職に傾きながらも何らかの事情で募集に応じ得ないでいる者があるとの観測をしていたことが疎明される。しかしながら、会社が解雇対象者一〇名を選定した上で退職を勧告したのに対しても直ちには勧告に応ずる者がなく、結局、解雇通知をするに至って漸く六名の従業員が希望退職への切替えを申し出たに止まったことは、前に見たとおりである。このことは、解雇対象者の全員が会社において退職に傾いていると観測していた者であったかどうかは別として、当時の状況のもとでは、現実に希望退職の申出がされるためには解雇通知という強行手段が必要であったことを意味するものである。そして、このような実際の経緯に加えて、もともと、希望退職者の募集においては、これに応募するかどうかは個々の従業員の自由意思に委ねられていること、再度の募集を行うとしても、その期間は最初の募集との権衡から自ずと限定されたものにならざるを得ないこと(したがって、募集期間を一か月間にするとか年末のボーナス時期まで伸長するなどということは考えられない。)、債権者らの主張によっても、前述した斎藤及び居山の他には、多少なりとも退職の希望を持っていたと見られる者はいないことなどを併せ考えると、仮に再度希望退職者の募集をしたとしても、これに応募する従業員がいたかどうかは極めて疑わしい状況にあったと解される。
したがって、本件では、再度希望退職者の募集をすることなく整理解雇に及んだからといって、その効力に影響があるとはいえない。
4 解雇基準が抽象的、主観的であって、対象者の人選も不合理であるとの主張について。
(一) 先ず、債権者らは、会社が本件解雇に当たって定立した「1、年齢四五才以上、2、再建計画による業務整理により冗員となる者」という基準のうち実際に適用されたのは後者であるが、それ自体が抽象的、主観的であって、到底、客観的かつ公正な基準とはなり得ないし、対象者の人選も極めて恣意的で不合理であると主張する。
本件解雇においては、年齢四五才以上の従業員でありながら解雇されることなく残留している者がいる反面、四五才未満であって解雇の対象となった(但し、希望退職に切り替えた。)者のいることが疎明される。しかし、会社は、本件解雇を行うに当たっては、一方で、人件費の削減を図るという観点から四五才以上の従業員を原則として解雇の対象者としつつ、他方で、営業力の維持を図り管理部門を圧縮して必要最小限の人員で現在の事業を継続するという観点に立って構想された新体制組織をもとに、四五才以上の者を含む全従業員について、各部門ごとに業務経験、知識及び処理能力、仕事に対する意欲等を斟酌して業務遂行に必要とする者を個別に選別し、この選別から外れた者について更に配置替えの能否を検討することによって、解雇の対象者を絞り込んだことが疎明される。したがって、解雇者を具体的に決定するに当たっては、前述した解雇基準の双方が適用されたことが明らかであって、四五才以上の従業員で残留している者は、再建計画にかかる会社の業務遂行上特に必要不可欠な人材と判断され(この判断から漏れた者が原則どおり解雇の対象となった。)、その反面、四五才未満で解雇の対象となった者は、再建計画による業務整理により冗員となる者と判断されたことになる。
そして、人件費の削減を図り必要最小限の人員で事業を継続するという本件合理化の目的に照らせば、人件費コストの高い高年齢の従業員を解雇の対象とすることは誠に止むを得ないところであるから、年齢四五才以上を解雇基準の一つとしたことに不合理はないと解される。また、合理化が会社の存続を前提としたものである以上、解雇の対象者を決定するに当たっては、従業員の業務知識、経験及び処理能力、仕事に対する意欲等を斟酌して合理化後の業務遂行に必要とする者を個別に選別することも許容されてしかるべきである。すなわち、整理解雇においては、合理化に伴う将来の業務遂行との関係や従業員の能力を考慮しない訳にはいかないのであって、四五才以上の従業員でありながら残留している者がいる反面、四五才未満でも解雇の対象となった者がいるからといって、年齢四五才以上という基準が解雇基準として無意味であることにはならない。これに対し、再建計画による業務整理により冗員となる者という基準については、それ自体は抽象的、概括的なものであるが、解雇基準が年齢、経験年数及び賃金などのように常に客観的、画一的なもので示されなければならない必然性はないし、本件では、会社の営業力を維持し管理部門を縮小して必要最小限の人員で現在の事業を継続するという観点に立って構想された新体制組織をもとに、全従業員について、各部門ごとに業務経験、知識及び処理能力、仕事に対する意欲等を斟酌し、更に配置替えの能否をも検討することによって解雇の対象者を絞り込んだことは、前述のとおりであって、しかも、その過程で差別扱いや何らかの不当があったことを疑わせるべき資料もないから、解雇基準が抽象的、概括的であるからといって、その適用までが恣意的であるとはいえない。もとより、解雇基準の適用において重要なのは、その結果であって、それが不合理で客観性を欠くものであってならないことは勿論であるが、適用の過程で解雇権者の主観が入り込む余地がない程度までに評価項目が細分化され基準化されていなければならないものでもないと解される。また、解雇基準を予め組合又は従業員に提示して、その了解を得なければ解雇そのものが許されないというものでもない。
以上に述べたところを総合すると、会社が定立した解雇基準が特に不当であるということはできず、また、前述したところからすると、本件解雇は、右解雇基準の双方を総合的に適用したものであって、債権者らを解雇者として選定した理由及び四五才以上で残留している者の残留理由も首肯することができるから、解雇基準の適用及びその結果が不合理で客観性を欠いているとはいえない。
(二) 次に、債権者らは、本件解雇は、債権者らが組合員であること、なかんずく旧第一組合に最後まで留まって活動していたことを嫌悪してされたものであって、不当労働行為であると主張する。
債権者らのうち、中俣、野村、平田は、旧第一組合において中央執行委員のほか、委員長、副委員長或いは書紀長等の要職を経験したこと、小谷は、関西における唯一の旧第一組合員であったこと、また、旧第一組合が旧第二組合と組織統一した後においては、いずれも組合員として活動しており、特に中俣、野村、平田は、中央執行委員、書紀長或いは副支部長等を経験していることは、その主張のとおりである。そして、現実に解雇の対象となった一〇名の従業員は全て組合員であったことがうかがわれるが、会社が具体的な人選に当たって斟酌したのは、前述のとおり、新体制組織を前提とした各人の業務経験、知識及び処理能力、仕事に対する意欲等であって、その際、組合員であることが対象者の選定において斟酌されたこと、特に債権者らについては旧第一組合に最後まで留まって活動していたことを嫌悪して会社から排除しようとしたことについては、これを疎明すべき資料はない。債権者らは、会社の右のような主観的意図を強調するけれども、具体的にこれを推認するに足りる資料は見当たらない。
かえって、本件解雇は、会社のいわば生き残りを賭けた合理化の一環として行われたものであって、組合対策の上で何らかの必要があったとは認められないこと、組合の組織統一と本件解雇とは約六年も隔たっており、その間に特に旧第一組合員であったことが債権者らと会社との間で問題となった形跡もうかがわれないこと、四五才以上で残留している従業員の中にも組合員である者はいること、解雇の対象となった一〇名の組合員のうち六名は希望退職への切替えを申し出て退職していること、組合員或いは組合役員であるからといって、必らずしも常に会社の業務に関する知識、経験、処理能力があり仕事に対する意欲があるとは限らないことなどを勘案すると、結局は、解雇対象者のうち希望退職への切替えを潔しとしないで残った者が、たまたま前記のような組合経歴を有する債権者らと一致したに過ぎないと見るのが相当であると考えられる。したがって、債権者らの主張は採用できない。
5 いわゆる三九名体制が実現されていないとの主張について。
本件合理化によって会社の従業員数は大幅に減少したが、現実には、その後も、多いときで四四名の従業員が働いており、少なくとも当初の予定である三九名までは減少していないことが疎明される。そして、債権者らは、このことは三九名体制では業務遂行に無理があり、もともと債権者らを解雇する必要がなかったことを意味すると主張する。
しかし、多いときで四四名の従業員が働いていたのは、外国人の従業員二名の解雇を差し控えていること、解雇した女子従業員一名を嘱託として再雇用したこと、派遣会社から二名の派遣を受けていることによるもので、その具体的状況は次のとおりであることが疎明される。これによれば、三九名を越える右五名については、雇用の期間が限定されたものであるか又は人件費の負担軽減が見込まれるもので、いずれも人件費の削減という本件合理化の方針に適合したものであるから、これをもって三九名体制では業務遂行に無理があるとか、債権者らを解雇する必要がなかったものということはできない。
○シ
同人は、当初から人員削減の対象者であって、昭和六二年一二月三一日をもって解雇された者である。しかし、本国のフィリピンに帰国しても再就職を望み得ないことから、アメリカのワーキング・ビザを申請することとなったが、それが発給されるまで六か月程度を必要とするとして再雇用の要望があったので、特に期間を限定して雇用契約を締結したものである。
○ス
同人もフィリピン国籍であるが、EOLの船舶に乗船しているフィリピン人船員の言葉の関係から、右船員の派遣会社より会社にいるフィリピン人社員についての慰留と賃金の一部負担の申し入れがあったことから、解雇を保留しているもので、現在はその負担割合等についての交渉中である。
○セ
同人は、一旦は解雇されたが、昭和六二年一二月中旬に至り、ケイヒンから、再建援助の一環として、同社の発行する国際複合証券の発行及びその代金の回収業務について委託があり、昭和六三年一月から新たな業務として請負うことになったことから、同人を一年契約の嘱託として従前とは給与及び諸条件を異にして雇用契約を締結したものである。
なお、右業務は単純業務であるから、債権者らを配置替えすることはできない。
○ソ
同人は、会社の船舶管理業務の下請けである三晃エンタープライズから派遣されてきている者で、会社の従業員ではなく、合理化後の社員構成には関係がない。この業務は、卓越した海技関係の知識経験を必要としているため、従来から会社の従業員では処理することができなかったものであるから、債権者らを配転させることはできない。
○タ
同人は、会社の要請を受けたテレックス機器納入業者が昭和六三年一月二五日から同年二月二四日までの短期間に限って派遣していた者である。合理化に伴うテレックス業務の円滑な処理を目的としたものであって、もとより会社の従業員ではない。
第五結論
以上のとおりであって、本件申請は被保全権利の疎明がないことに帰着するが、事案の性質上保証をもって疎明に代えさせるのは相当でないので、これを却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官太田豊)